どんな複雑な方程式よりも人の心は難解である


                             
色方程式


黒板を白いチョークが叩く音が子守唄のように頭に響く。ともすれば机に突っ伏してしまいそうになる上半身を腕で支えて、カガリは立てた教科書の向こうに見える時計を見た。前に見た時からかなりの時間が経ったように思えたが、憎らしい時計はこういう退屈な授業の時に限ってその動きを遅くする。
大好きな体育の授業なんて数ゲームしただけで終わってしまうのに。まさかあの時計、故障してるんじゃないだろうな。
微かな希望を抱いてポケットに入れておいた携帯をちらりと見たが、分かったのは壁時計は順調に時を刻んでいるという事と、五限はまだ終わらないという絶望にも似た事実だった。

五限目は昼休み後という事もあって食欲が満たされた体は唯でさえ睡眠を欲するのに、その状態で受ける授業が数学なんて最悪だ。大体、社会に出て微分積分や指数関数が何の役に立つというのか。
ぼんやりとする頭で教科書を眺めるが、興味のない数字の羅列は一向に頭に入らない。欠伸を噛み殺すカガリは右手でペンをくるくる回しながらふと窓の外を見た。窓の近くに植えられている木々が秋の風に晒されて葉が落ち始めた枝を揺らしている。その下で一年生のどこかのクラスが体育の授業をしているのが見えて、羨ましそうに目を向けた。
そしてその中によく知る顔を見つけたカガリは、その姿を目で追った。
青く澄んだ空の下で、一つのボールを巡って攻防戦を繰り広げているのは1−Bのシン、ヨウラン、ヴィーノの三人で、少し離れた場所ではレイとルナマリアが何か話している。ミニゲームというよりは子犬がじゃれ合っている印象を受ける三人の表情はとても楽しそうで、眺めているだけでなく仲間に加わりたい気持ちがむくむく膨らんでいく。

彼らの授業は自習だろうか。そういえば担当教諭であるフラガの姿が見当たらない。
あのおっさん風邪でも引いたのか。
そう思えば心配にもなったが、思い思いに校庭で遊んでいる下級生を見て羨ましいと思ってしまうのはどうしようもない。
子守唄を聞きながら睡魔と格闘するのに疲れたカガリは、眼下で展開されるシン達のミニゲームを観戦しようとカタンと椅子を動かす。首を少し動かすと下の様子がよく見えた。
ミニゲームは丁度シンがボールを奪って、ヨウランとヴィーノが守るゴールに切り込んでいく所だった。

(お、行け、シン!)
その時、静かな教室に満ちていたチョークの音が止んで、硬質な音を立ててチョーク箱の中に戻された。教師の声が聞こえなくなって、その代わりにクラス中の視線がある一点に集中する。けれど一心にそれを受けている少女は痛いほどの視線にも気がつく様子もなく、窓の外に意識を飛ばしていた。

(そこだ!あ、二人がかりなんてずるいぞ。ヨウラン、ヴィーノ!)
カガリの心は完全に、暖房の効いた教室ではなく秋風が吹きつける校庭にあった。
こつこつと靴の音が次第にカガリの元に近づいてきて、隣の席に座っているフレイが慌てて小声でカガリの名を呼ぶがそれもカガリには届かない。

(抜け!シン!よっしゃ、ナイスシュート!!)
思わずガッツポーズをして、はたと我に返ったカガリは、クラスメイトの視線が全て自分に向けられている事に漸く気がついた。見れば仲の良い友人は口をぱくぱく動かして自分に何かを伝えようとしているようで。
何だろう?
首を傾げたカガリだったが、突然頭上から聞こえた教師の声に文字通り飛び上がって驚いた。



「何を熱心に見ていたんですか?アスハさん」
「ふぁい!?」


見事にひっくり返った声を出したカガリに、静まり返っていた教室はどっと笑い声に包まれた。バツが悪そうに下を向いてちらりと横を見ると呆れ顔のフレイの口が「お馬鹿」の形に動いて、なんだよと小声で噛み付いた。



「体を動かすのが好きなのは結構ですが、今は授業中です。こちらに集中してください」
「あ、えっ・・・と。すいませんでした」

静かな声で諌められ、ぺこりと頭を下げると教師は纏っていた空気を若干和らげて黒板を指した。

「分かればよろしい。ではアスハさん。黒板の問題を解いてください」

言われ、慌てて教科書に目を落とすが、カガリが余所見をしていた間に授業はかなり進んだようで、ページをめくれども教師の指す問題の解き方に辿り着かない。答えなど皆目見当がつかない。

「・・・・分かりません」
「次回からきちんと聞くように。では代わりにこの問題を・・・ジュリ・ウー・ニェンさん。解いてください」
「はいっ!」

友人が嬉々として返事をしたのを横目にすとんと椅子に座ったカガリは、隣の席のフレイに今日の範囲のノートの貸し出しを願い出たのだった。






時計の進みは実に意地悪で、あれだけ遅く感じた時計の針も先の一件後は着実に時を刻み、あっという間に授業終了の時刻になった。学園中に五限終了の鐘が鳴り響き、それを掻き消すように一斉に椅子を引く音が聞こる。程なくして校舎のあちこちで生徒の賑やかな声が溢れた。カガリのクラスでも仲の良い友人同士で固まっておしゃべりを始める子、読書を始める子、それぞれが次の授業までの僅かな休憩時間を満喫している。カガリは机の上の数学の教科書と自分のノート、それからフレイに貸してもらったノートを引き出しにしまって、ふうと息を吐いた。

「なぁに?大きい溜息ね」

隣で手鏡を覗いていたフレイが目敏く反応する。

「ん―、いや、別に」
「さっきの事気にしてるの?あんたのちょっとやそっとの失敗じゃ皆もう驚かないから大丈夫よ」

それってどういう意味だ。
励ましになっていない友人の言葉に眉を寄せた時、教室によく通る声が響いた。

「アスハさん。今日の放課後、準備室にクラス分のプリントを取りに来てください」
「・・・・はい、ザラ先生」


来たか。
同性の羨望の眼差しを受けたカガリは、しかし心の中でがっくりと肩を落とした。


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80,000ヒット御礼

「シンやイザ&ディアに嫉妬するアスラン」です。



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