予期せず君から提示された、今日の日の延長分をどう使おうか


                        unstable tomorrow


―後十メートル、後五メートル。

廊下に響くヒールの音と足にまとわりつくドレスの裾が、体に蓄積している疲れを更に加速させているようでうんざりする。漸く戻る事が出来た自室の空気に肩の力を緩めて、カガリは鬱陶しそうに薄紫のストールを放り投げた。目標を決めずに放ったそれはふわりと宙に舞い上がり、近くにある椅子の背に引っ掛かる。
テーブルセットの前を一直線に通り過ぎたカガリは、それまで首と腕を拘束していた宝石の付いた鎖を外し、鏡台のジュエリーボックスに無造作に突っ込んだ。年頃の、否、普通の女ならば溜息を零すであろう輝石が幾つにも連なるネックレスが、部屋の光を反射して輝くのを顔を顰めて一瞥した。
邪魔な物を排除して、やっと一息つける。
剥き出しの肩をぐるぐる回して凝りをほぐし、ふと壁の掛け時計を見た。
時刻はもはや夜半。すぐそこに次の日が迫っている、今日と明日が曖昧なライン。
それでも抜け出した会場にはそれなりの人数が残っていて、グラスを片手に談笑に興じていた。自分より一回りも二回りも歳を重ねているのにまったく元気なものだ。呟く声は呆れの色が濃い。
自分はこれでも頑張って付き合った方だというのに。
大して美味しいと思えないシャンパンを舐めながら、興味の無い話に乗った振りをするのは顔の筋肉を酷使する。明日顔が筋肉痛になったらどうしてくれようと、ここにいない連中を思い出し、辿り着いた安息の地へダイブした。

突然与えられた重みにベッドが軋み、カガリの体は数度弾む。
シーツの冷たさが今は心地良い。
「・・・・・疲れた」
口に出せば、その感情は簡単に全身を支配下に置く。
ドレスを脱いでメイクを落として風呂に入って、としなければいけない事があるのは分かっていても、一度切った緊張の糸を結びなおすのは非常に困難だった。



「カガリ、せめて着替えだけでもしたらどうだ」

目を瞑ろうとして、それを遮るように耳に入った男の声に、首だけをのそりと動かす。乱れた髪が視界を邪魔するのでかき上げると、寝室の入り口にフォーマルなスーツに身を包んだ恋人が立っていた。濃紺の髪はライトの加減でスーツと同色の黒にも見える。
こんな時間だというに彼は窮屈な礼服を着崩す事はない。
「疲れてるんだ。も少しこのままでいいだろ」
マーナのような物言いに、ふいと顔を背ける。と、後ろで聞こえる小さな溜息。二人だけの部屋の中、その音はやけにはっきり聞き取れた。
(疲れてるんだから今日ぐらい良いじゃないか)
聞こえないふりを決め込んでベッドに突っ伏していると、もう一度聞こえる溜息と自分を呼ぶ声。そしてこちらに近づく足音。それはどんどん近づいてきてカガリの傍で聞こえなくなる。
その代わりベッドにもう一人分の重みが加わり、振動がカガリにも伝えられた。

「着替えさせてあげようか?」
囁かれた声はカガリが想像していたよりももっと近距離で発せられ、驚いたカガリは上半身を起こそうとする。
しかしその動きは、カガリの体の両側に手を付いたアスランに邪魔された。ぎょっとするカガリの顔を見てアスランは悠然と笑む。
「い、いや。いらん。謹んで遠慮させてくれ」
「俺とカガリの間に遠慮は無しだろう」

アスランの手がドレスのファスナーに掛けられてカガリは焦る。こんな展開は考えていなかった。
ファスナーが下ろされるにつれ肌が少しずつ外気に当たり、そこを男の指が戯れに撫でて震えが走る。腰の辺りまで自由にされると、腰の窪みに熱い唇が落とされた。口は嫌だと言いながら、その感触に感じ入る自分が何処かにいて、一体どうしたいのか霞掛かる頭では結論が出せない。
ただ、アスランに触れられてから体温は上昇しっぱなしだった。


その時、ポーンポーンと時計が新しい日の訪れを告げた。
ぼんやりとその音を聞いていたカガリは、十二の鐘が鳴り終わると同時に離れてしまったアスランに不思議そうな視線を投げる。それを受け止めたアスランはカガリを見てふっと息を零した。
「嘘だよ」
「え?」
笑いながら言われた台詞が掴めず首を傾げる。
「カガリが疲れてるのが解ってるのに最後までしないよ。さっきまで四月一日だったから、少しからかっただけなんだ。ごめん」
そう言ったアスランの手がまたファスナーに掛けられる。今度は上から下ではなく、下から上へ。
きちんと元に戻されて安心して良い筈なのに、ドレスに包まれた身体が熱を持ったように熱い。
エイプリルフールに引っ掛かったと分かれば腹が立ってもいい筈なのに、どうしてか淋しいと感じる。
ちゃんと着替えろよ、と髪を撫でて立ち上がろうとするアスランの腕を掴んだのは自分でも無意識の事だった。

「どうした?カガリ」
「・・・・・・時計」
見下ろすアスランの顔は見れず、床に視線を落としてぽつりと呟く。


「あの時計・・・・・少し時間がずれてるんだ。だからまだ今日は一日で・・・だから」
腕を掴む手に力を込める。
黙ったアスランに、言うんじゃなかったと後悔の念に駆られる。けれど今更笑って冗談だと手を離す事も出来ずにカガリはそのままの状態で固まった。
どれくらい沈黙の時が続いただろう。短いようでとても長く感じる均衡を破ったのはアスランの方だった。
「どのくらいずれているんだ?」
「?」
「時間。ずれてるのってどれくらい?」
見上げたアスランの目は輝いていて、カガリはその色に囚われる。
「十分、くらい?」
「それじゃあ短すぎるんじゃないか?」
苦笑しながら指摘されて、恥ずかしさが湧き上がってくる。けれど自然と口は開いた。
「じゃあ・・・一時間」
「随分遅れた時計だな。今日が終わったら修理しないと」
くすくす笑うアスランが片膝をベッドに乗せる。本当に一時間後には今日が終わるのだろうかと思いながらも、カガリは落ちてくる影に合わせて瞳を閉じた。





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