ゆっくり
     ゆっくり
暖かい何かに包まれて落ちてゆく
 
一体何処へ辿り着くのかも分からず、ひたすら慣性に従って、下へ
                                          下へ

視界はどこまでも黒く、けれど少しも恐怖は感じなかった


                      a bustling utopia

最初に闇の中から浮上したのは意識だった。
さざめく波の様に、寄せては引く数々の思いが巡る中、心の一番深い部分がやけにすっきりしている事に気が付く。いつも感じていた筈の、あの駆り立てられる獰猛な激情はどこにも見当たらない。既に自分の一部となっていた、最も激しく思考を焼く牙の喪失に、一抹の寂しさと安心感を同時に抱いた。

動かない体の下で、感覚は徐々に元に戻り始めていて、閉ざしたままの瞼の向こうに広がる世界の輪郭を朧げながら把握できた。遠くから聞こえる水音や、すぐ側で聞こえる鳥のさえずり、草の揺れる音。

(ここが地獄だったら随分イメージと違うものだな)

ふとよぎった自分の感想に苦笑する。
天国だとか地獄だとか、今までそんなもの信じた事はなかったというのに。
死という結末の先に待つ世界を考える事が出来る程、自分達にとって死ぬという事は遠いものではなかった。生きる為には敵を倒す。それが出来なかったら戦場で無様に散るか、もしくは用無しとして処分されるのみ。それが彼の生と死の観念の全てだった。
信仰する神も、縋り付く存在も持てなかった彼は、自分が居るこの世界を己の目で確かめる為、そっと目を開いた。


ぼんやりと霞む視界にまず映ったのは、白や薄紅に覆われた地面。
その色の一つ一つが小さな花で、その中に自分は横たわっていると気が付いたのは、それより少し後だった。腕に力を入れて上半身を起こすとぐるりと辺りを見渡す。
すると頭上に陰ができ、ぱらぱらと何かが降っていた。
「な」
なんだ、と下を見れば、地面に、そして膝の上に落ちてくるのは色とりどりの花々で。後ろを振り返った彼はそこに立っていた少女の姿に瞠目した。柔らかな光を背に懐かしい顔がこちらを見下ろしている。ふわふわした金髪が風に靡いて揺れて、空と同色の瞳と目が合った。
「スティング」
「ス・・・・テ、ラ?」

どうしてか、随分長い間、この少女に会っていなかったような気がする。しかし、無意識の内に口をついて出た名は、唇に乗せるとじんわりとスティングの中に染み込んだ。
「うん、スティング」
呼んでもらえて嬉しいというようにステラの顔が綻ぶ。お気に入りだったワンピースの裾を揺らしてスティングの横に来るとちょこんとその場に座った。側に咲く花の花弁に指で触れ、揺らしては小さく笑う。それは彼がよく知ったステラだった。
いつもの癖で手を伸ばし、頭を撫でるとステラは幸せそうに目を瞑った。それを見てスティングも微かに目を細める。妹分だったこの少女にはこんな風に、温かくて優しい世界がよく似合う。

―俺やアウルには花は似合わないしな
ぼんやりとそう思って、アウルという名をはたと思い出した。ステラと同じく、呟いたその名は、彼の中の欠けていた隙間を埋める欠片となる。
自分もステラもここに来ている。ならあいつがいてもおかしくないのではないか?

「ステラ、アウルには会ってないか?」
「うん、いる。お昼寝してるの」
あっち、と指を指して立ち上がると、腕を掴んでぐいぐいと引っ張るので、スティングはステラの成すがままになりながら二人で歩き出した。


アウルのいる場所はすぐに分かった。存在を主張しない色があつまるこの場所で、鮮やかな青は嫌でも目を惹く。ステラが少年の名を呼ぶと、寝転んでいたアウルはのそりと起き上がった。
「ステラ。お前どこまで・・・・」
そう言ってステラを見たアウルは、その後ろに立つスティングを見て軽く言葉を失ったようだ。ぽかんとした顔で仲間の姿を確認すると、一瞬だけ嬉しそうに目を輝かせる。しかし瞬き程の時間の後には、良くも悪くも馴染み深い、不機嫌な顔にすり替わっていた。
「おっせーよ!スティング!!」
開口一番放たれたのは、再会を喜ぶ言葉でなく。スティングにとっては何とも不条理な内容だった。

(もう少し物の言い様あるだろうが)

まあ、かといってアウルに「久し振り」と笑顔で駆け寄られて抱きつかれても、それはそれで非常に気持ち悪い。
男二人がひしと熱い抱擁を交わす姿をリアルに想像したスティングは、あまりに見目悪い映像にがくりと項垂れた。

「おいってば。どうしたんだよ」
怒鳴り返されるかと思ってわくわくしていたアウルは想定外の反応に眉を寄せた。ちなみに、彼の「わくわく」は怒られる事に対して感じるものではなく、何か言ってくるスティングを言葉の数で黙らせる事が楽しみなのだが。
反撃を楽しみにしていたのにいきなり肩を落としたスティングに、アウルはステラと顔を見合わせて首を傾げる。
「あー、何でもない何でもない。気にすんな」
「頭抱えてそんな事言われても全然説得力ねぇんだけど」
心配する素振りも見せずふんぞり返るアウルには五月蝿いと言い放って、スティングは改めて辺りに目を遣った。

「それにしても見事に花ばっかだな」
「人の話無視すんな!」
果ての見えない花畑にはスティング達以外に人影はなく、その分アウルの声はよく響く。対アウル暴言対策の一環として、聞くに堪えない言葉は全て右から左へ流す事にして、さてどうしたものかと思案していると、ステラがスティングの腕をつんつんとつついた。
「あっち、水があった」
「行きたいのか?」
「うん」
聞くとこくんと頷く。特に他にする事もないし、ステラの希望を聞いてやっても良いだろう。じゃあ行くか、と歩き出すとその後をステラが付いてくる。アウルはその後も何やら喚いていたが、草を踏む音が三人分聞こえるという事は一緒に行くのだろう。
「なあ、水場に行くのはいいけどさ。その後何処行くんだよ」
後ろからかけられた声に、スティングは遙かに広がるスカイブルーの空を見上げた。

「そうだな・・・・取り敢えず」



取り敢えずはこの三人で、晴れ渡る空の下をどこまでも歩いてみるか。

自分達を縛るものはもう何もないのだから。




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