これからお話するのは、彼と彼女が今よりずっと小さかった頃のお話


                          sweet sweet cheek


店内に流れる音楽を何の気なしに聞きながら、少年は途方に暮れたようにその場に立ち尽くしていた。
彼が立っているのは広いスーパーマーケットの一角で、目の前では買い物を終えた主婦が品物を袋に入れるという作業を入れ替わり立ち代り行なっている。食材を購入した大人達が自分を見る目がやけに気になる、と彼―アスランは視線を正面から自分の足下に向けた。
世の奥様方からしてみれば、私服でなく制服のままの美少年が、買い物をするでもなく、ただじっと自分達の方を見ているのだから気になるのはしかたない。けれど別段何かを見ていたつもりはないアスランにしてみれば、向けられる視線はどれも居心地の良いものではなかった。
「お待たせ、アスラン君」
買い物用のカートの音が近づくと共に掛けられた声に、アスランは漸く顔を上げた。



「ええっと、次は生クリームね」

嬉々とした声で振り返る同級生に、アスランは手の中のメモ紙を見た。淡いピンクのハートがあしらわれた紙の一番上には、丸っこい字で『B班調理実習―ケーキ―』と書かれている。その下にはケーキ製作に必要な材料がリストアップされている。上から下まで一通り目を通したアスランは、それだけで胸焼けしような気分に陥った。
甘い物が得意でないアスランにとっては、砂糖や生クリームといったものがふんだんに使用されている菓子類は、出来れば食べるのを遠慮したい部類に入る。それを、よりによって自分の手で作らなければならないなんて、 性質の悪い罰ゲームを受けるようなものだ。
しかし、世の中は女の方が逞しく、かつ強いように形成されていて、何を作るか決める際の女子の団結力の前にアスランは口を噤むしかなかった。

横で機嫌良さそうに鼻歌を歌いながらカートを押す少女のカゴの中には既に薄力粉や卵、バター、そして砂糖の袋が放り込まれている。これを全部使うのか、と思うと辟易する。それを美味しそうに食べる女の子という存在は、焼き菓子と同様にアスランの苦手な存在だと改めて思った。

(この子も俺なんかと一緒に買出しなんて楽しいのだろうか?)

ちらりと横を盗み見ると、丁度こちらを見た目とばちりと視線がぶつかる。気まずげに視線を逸らすアスランとは反対に、生クリームを手に持った少女は顔を赤らめながらカゴの中にそれを入れた。
「フルーツはあっちにあるの。行きましょう?」
「あ、ああ」
くるりと方向転換する背を追って彼も歩き出す。前を歩く少女がどうしていきなり赤くなったか、内心首を捻りながら。



その後は青果コーナーでケーキに挟む果物を選んでレジに並んだ。皆から徴収した金額内で買出しが済んだ事に安堵しつつ、買った物を手際よく袋に詰めていく。最後にテープを貼って、アスランが袋を持つと二人で外に出た。
じゃあ、また明日、とそのまま帰路につこうとしたアスランだったが、後ろから腕を引っ張られたせいでそれは叶わなかった。

「ねえ、帰りにアイスクリームでも食べて帰らない?」
甘い声で強請られてアスランは内心渋い顔をする。
指差された方向にはスーパーに隣接する形でアイスクリームショップが建っていて、ガラス張りの外装は中の様子がよく見えた。レジの後ろには一面にアイスクリームの写真と、それぞれの商品名がプリントされたパネルが貼ってある。カラフルな写真と好奇心をくすぐるネーミングは、女性の心を掴む良いディスプレイかもしれない。が、生憎とアスランはそれを見たからといって食欲をそそられる事はなかった。

「ミシェル・・・買った物の中には生物もあるんだ。早く帰った方が良いんじゃないか?」
そういうとショップがある方向とは反対に踵を返す。興味なさそうに、すたすたと歩き出したアスランに、ミシェルと呼ばれた同級生は何かを言いかけ、結局「待ってよ」と駆け出した。



手に持った袋の中の砂糖の重さを感じながら、止まる気配のないミシェルの話に短く相槌を入れつつ、アスランは家路を急いだ。他愛無い彼女の話にどう反応を返していいのか分からず、溜まった疲労感が体を支配し出す。
と、ミシェルが次の話題に移ろうとした時、道路の向こうから小さな女の子の泣く声が聞こえた。
「なぁに?大きい泣き声ね」
話の腰を折られたミシェルはそう言って顔を顰めたが、向こうから聞こえる泣き声に聞き覚えのあったアスランは一目散に走り出す。後ろから自分を呼ぶ声には振り返る事はなかった。



声のする方を目指して走ると、声はどうやらアスランの自宅から聞こえるようだった。次第に近づく声に、自宅の庭を見ると、地面に座り込んだ小さな背中がその目に映る。上がった息を整えて、優しくその背に声をかけた。

「どうした、カガリ?」

泣きじゃくっていた女の子はアスランの声を聞くなり、ぱっと顔を上げた。ぼろぼろと瞳から大粒の涙が落ちて地面に染み込む。
「あすらん!あすらん!」
小さな両手をいっぱいに広げて走ってくるカガリを、アスランは自分も両手を広げて迎えた。アスランの腕にしがみ付いたカガリは涙でくしゃくしゃになった顔を制服に押し付けてしゃくり上げ続けている。カガリの履いている毛糸編みの黄色い靴下に、泥が付いているのに気が付いたアスランは、抱き上げたカガリの顔を覗きこんだ。
「カガリ、どうしたんだ?お母さんはどうした?」
「おきたら・・・・うっく、いなくって。おうち、だぁれもいなくって!」
言っているうちにまた心細くなってきたのだろう。見る間に涙を溜めたカガリを安心させるように微笑んで、ヒヨコのような金の髪を撫でた。
「そうか。でも大丈夫だ。俺の家で一緒に待っていような」
「うんっ」

良い子だ、ともう一度撫でて、玄関の鍵を開けようとしたところで、背後からかけられた声にアスランは振り向いた。
「アスラン君・・・あの・・・」
所在無げに立つミシェルに、アスランはカガリを抱きかかえて告げる。
「いきなり走り出してすまなかった。でもこれからこの子と一緒にいてやらないといけないから今日はこれで・・・。買出しした物は俺が持っていくよ。・・・今日はお疲れ様」
「・・・・お疲れ様。じゃ、また明日ね」


ミシェルの姿が見えなくなると、カガリはアスランの腕の中から地面に置いたままの袋を指差した。
「なあなあ、これなんだ?」
「明日学校で作るケーキの材料だよ。俺の分は半分カガリにあげるからな」
「けーき!ほんと?」
ケーキと聞いた途端、ぱあと目を輝かせるカガリに笑って頷く。
「ああ、約束だ」
「ありがと、あすらん!だいすきだ!!」
泣き顔からやっと笑顔になったカガリがそう言って、柔らかい頬っぺたをアスランの頬にすり寄せる。アスランはカガリの分かり易い感動表現に目を細めて、置きっぱなしのスーパーの袋を持ち上げた。






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