薪の爆ぜる音がする。ゆらゆらと形を変える炎が、暗闇に包まれている森の一角に明かりをもたらす。足元に転がっている木の枝を火に投げ入れた青年は油断無く辺りに目を遣った。自分に害を成す気配がない事を確かめると溜めていた息を吐いた。こうして野営をするのは始めての事ではない。訓練の一環として僅かな支給品のみで夜を明かした事も何度かあった。そしてそのいずれも、こうして周囲を警戒するのは彼、スティング・オークレーの役目だった。


                            inequality rabbit


遠くに向けていた視線をふと火の向こうに遣ると、ぼんやりと炎の揺らめきを見ている少女が視界に入った。少女の名はステラ・ルーシェ。スティングと同部隊に所属するれっきとした軍人だ。軍人と言う厳つい言葉に似合わない儚げな少女に見えるが、一度スイッチが入ると容赦なく死神の鎌を振るう。しかし今はそのスイッチが完全なオフ状態なのは見れば一目瞭然だった。
そしてよく見るとステラは膝の上に支給品の林檎を置いてじっとそれを見つめていた。食べるでもなく、ただ見つめてばかりいるステラにスティングは自然と口を開いていた。
「食べたいのか?」
その一言に、柔らかな金髪が揺れて、一点を見つめていた蒼の瞳がスティングを映す。手の平の上の球体とスティングを交互に見て、少しの間の後こくんと頷いた。幼さを滲ませる仕草に、纏った鋭さを僅かに緩めて少女から真っ赤な林檎を取り上げた。支給された鞄の中から折りたたみ式のナイフを取り出してその切っ先の鋭利さを確かめると、熟れた果実にナイフの先を当てる。ハンドルを握る手に力を入れようとしたその時、それまで黙っていたステラがぽつりと呟いた。
「うさぎさんがいい」
「は?」
横から聞こえた意味不明な言葉にスティングの動きが一旦止まる。ステラと林檎とナイフを見て、普段の彼では出さないような間の抜けた声を出した。言いながら我ながら馬鹿っぽい声を出してしまったと思うがもう遅い。主語や目的語を省略して話すのはステラの常であり、それを解読するのはスティングにとって然程難しい事ではなかったが、今回ばかりは頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになった。が、そんなスティングを全く気にした様子のないステラは、今度は少し言葉を加えて林檎を指差した。
「うさぎさんの形に切ったのがいいの」
ステラの指指すその延長線上の林檎に視線を落とし、ステラの言わんとしている事を悟ったスティングは途方に暮れたように満月を抱く天を仰いだ。





以前一般人に紛れて入った飲食店。そこでステラが注文したフルーツパフェの上に乗っていたヘンテコな形にカットされた林檎を思い出す。アイスクリームやら生クリームやらでデコレートされた器に乗っていたそれを自分は食べたいと思わなかったけれどステラには魅力的に感じられたのだろう。放っておくと端から溶けていくアイスクリームをスプーンですくったりしては嬉しそうに食べていた。女の感覚は理解しがたい(ステラを一般的『女の子』にカテゴライズするのは如何なものかと思うが)と、コーヒーを啜りながらのん気に考えていた過去の自分まで思い出す。
あまり欲求を表に出さないステラからの思いがけないお願い。出来ないと言ってしまえばそれで事は済むのだが、何故か朧に霞む過去の記憶を手繰り寄せようとする自分がいる。何だかんだ言っても自分はステラに甘いと思う。
さてステラの望むどんなものだったろうか。何とか記憶を手繰り寄せようとスティングは首を捻った。
形は、確か・・・・そう、ウサギの耳に当たる部分だけ皮を残して切ってあった気がする。頭の中にステラの望む形をイメージするとスティングは迷いながらも今度こそ林檎にナイフを入れて『うさぎさん林檎』を作り始めた。


しょりしょりしょり。
梟の鳴き声と微かな虫の鳴き声しか聞こえなかった森の中に果物を剥く音が混じる。
ファントムペインのスティング・オークレーが首を捻りながら林檎と格闘している姿は、彼を知る人間が見れば我が目を疑う光景だ。しかし今の彼を見ているのはうさぎさん林檎の登場を、今か今かと待っているステラだけ。いつも何かにつけてちょっかいを出してくるアウル・ニーダは火の側で目を閉じている。アウルに今の自分を見られないだけでもマシだと思おう。そう自分を納得させて甘い香りを放つ林檎とひたすら格闘した。
そして更に数分後。
少しいびつではあるが世に言う立派なウサギカットの林檎が完成し、スティングはやや疲れた顔をしながらも皿の上にそれらを並べてステラに手渡した。しゃくしゃくと林檎を食べる少女を手の中に収めたナイフを弄びながら見つめていると、次の一個に手を伸ばそうとしたステラと目が合う。ぼんやりとした瞳が細められてふわりと笑った。
「美味しい・・・」
「そうか・・・。良かったな」
そう言ったきり、ステラは耳の長さの違うウサギ林檎を食べるのに夢中になってしまったけれど、そんな少女を見ているのは不快ではなかった。穏やかと言える空気が二人を包み込む。

その空気を壊したのは毎度の事ながらアウルだった。


「あ―!!ステラばっかり何か食ってる!」
「・・・アウル」
「お前、起きたのか」

鮮やかな青色が印象的な少年は寝起きと思えない素早さで起き上がるとステラの元に駆け寄った。そして皿の中の果物を見るとジロリとスティングを睨み付ける。ああ、また五月蝿い事になりそうだ。
「ずっりー!ステラばっかり贔屓してさぁ。なあ、僕には僕には?」
「ヤローにそんな林檎は似合わないだろ。お前にはこれ」
ぎゃあぎゃあと喚くのを黙らせようと鞄の中から取り出した物を放り投げる。持ち前の能力でそれをキャッチしたアウルの手の中にはフォールディングナイフと林檎が丸々一個ころん。


一瞬静かになった場は次の瞬間炸裂したアウルの怒声で一変した。やれ女好きだの、僕よりステラが良いんだ、だの。どうして林檎一個でここまで騒がれないといけないのか。謂れの無い罵詈雑言の嵐に、スティングは怒りよりもむしろ疲労を感じる。
と、それまで黙々と咀嚼していたステラがすくと立ち上がった。そのままアウルの前まで一直線に歩いて、怪訝そうな顔をするアウルをじっと見つめる。そして。
「あんだよ!何かもん・・・ぐっ!」
まるでアウルの言葉を遮るように、皿に残っていた最後の林檎をアウルの口の中に思いっきり押し込んだ。そして突然口に入れられた林檎に驚くアウルに一言尋ねた。

「美味しい?」




呆気に取られた様子のアウルがそれでも小さく頷くのを横目で見て、スティングは熟れた林檎に齧り付いた。




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