その場所は市街地を抜けた、ある小高い丘の上に在った。


                               
と約束


今でも目を閉じると思い出す。一面に咲く純白の花の色。その中に居る男性の姿を。


あれはいつの事だっただろうか。お気に入りの帽子を被り、今より長かった髪を春の風に遊ばせながら、私は街から離れた場所へと向かっていた。軽やかな足取りで歩いていたけれど、特に目的地は決めていなかったように思う。
ただその日はよく晴れた日で、舗装していない小道に落ちる柔らかい木漏れ日を避けながら、何かの歌をハミングでもしながら道を進んでいた。春風にそよぐ木々の葉と、どこからか聞こえる鳥達の歌に心は弾んで、おろしたてのワンピースが風に靡くのがひどく嬉しかったのを覚えている。
その後どれ位進んだかは覚えていないが、ある地点から鼻腔を擽る風の香が変わったのを感じて首を傾げた。緩く続く坂道を上がると次第に視線の先が明るくなり、私は少しだけ上がった息を整えて林立する木々を抜けた。

そして目に入った景色に瞠目する。
細い小道の向こうに広がっていたのは、一面の白。
地面一面に咲き誇る白い花の絨毯がそこには在った。
体を通り過ぎる風は芳しい花の香りを濃厚に含んでいて、暫し眼前の美しさに目を奪われる。抜けるような青の中に純白の白は余りに似合っていて、美しい一枚絵を見たような感覚に囚われた。

と、その白の中に一点異なる色を見つけた私は、引き寄せられたように足を動かした。
耳に入るのは地を踏みしめる自分の足音と、空を舞う鳥の伸びやかな鳴き声。その二つが更に場の静けさを強調する。
さく、と音を立てて立ち止まった後、僅かに躊躇って口を開いた。


「綺麗なお花ですね」

それは私にとっては「こんにちは、良い天気ですね」と同じような響きの挨拶だった。にこやかに発した言葉に反応して、花の前に座っていた男性はこちらを振り返る。ゆるりと振り返ったその人を見て私は目を見張った。
こちらを見上げた老いた人の目が鮮やかで美しい緑色をしていたからだ。

「やあ、お嬢さん。こんにちは」
「こんにちは。ここに咲いているお花は全部お爺さんが植えたんですか?」
「そうだよ」
落ち着いた声の響きに安心して一歩近づく。ワンピースに土が付かないように気をつけて男性の横にしゃがんだ。間近で見た男性の顔は老人と言うには皺が少なく、何より花を見つめる眼差しが愛しい物を見ているようで、その視線を奪っている白い花にむくむくと興味が沸いた。
「凄い!余程お花が好きなんですね!こんなにいっぱい咲かせるくらいだもの」
感嘆の声を上げた私を見て、男性の目が微かに揺れる。深い翠の底が悲しんでいるように揺らめいたのを見て、私は何か不味い事を言ってしまったのかと不安になったが、次の瞬間男性は私を見てふわりと淡く微笑んだ。

「花が好きだったのは私の妻なんだよ。花に限らず草や木も、この国に生きる全てが好きな女性だった」
「だった?」
首を傾げる私の金の髪を撫でて頷く。
「『私が逝ったら花を植えてくれ』。それが妻の最後の願いだったんだ」

男性の言葉にくしゃりと顔を歪ませた私を困ったように見て、男性はぽつぽつと話をしてくれた。



『私が逝ったら、お前オーブを見渡せる場所に花を植えてくれないか。そうだな・・・白い花が良い。毎年少しずつ種を蒔いてあの場所を花でいっぱいにしてほしい』

丁度、今日と同じような晴れた日。
ベッドに体を預ける妻の笑顔に胸が締め付けられて、息すらまともに出来なかったと呟いた。それでも頷いた男性を見て安心したように目を閉じた妻の寝顔が余りに穏やかで、妻に縋って、ただ涙を流した、と。
涙が枯れるまで泣いて、ある日妻が指定した場所に赴いた男性はその広さに絶望したと言う。
小高い丘の上。
この地に花を。それに掛かる月日を想像して。
―君亡き世界でどれだけ生きろと?―
そのときは妻との約束が、この身をこの世に縛り付ける呪の言葉のように感じた。けれど結局、男性はその約束を無かった事には出来なかった。それは―


「奥さんの事、すごく好きだったから?」
「そう。約束を無かった事に出来る程、彼女の存在は軽くなかった。私の唯一の女性だった」
「今も・・・淋しい?」

その唯一の女の人を失って、この人がこんな風に話せるようになるまで、どの位苦しんだんだろう。泣いたのだろう。
それを考えると自分の事ではないのに胸が痛くなって、思わず男性の手をきゅっと握りしめた。

「でも、最後の最後に彼女は言ったんだ」


『お前が私の為に花を育ててくれるなら、私はその一輪一輪になってお前の傍にいるぞ。・・・・・花って柄じゃないけどな。綺麗に咲かせてくれたら、お前の為に花弁を揺らしてやる。でも、もしさぼったら容赦なく枯れてやるからな!』

その時、東から吹いた風が丘に辿りつき、白い花弁を優しく揺らした。
「ああ・・・今日は君が来てくれたからかな。カガリも嬉しそうだ」


そう言って太陽を仰ぎ見た男性の顔が微笑んでいるようにも泣いているようにも見えて、幼い私は祈るように目を閉じた。



市街地を抜けた、ある小高い丘の上。
その場所には最後の約束の花を育てる男性と、花になって彼を生かす女性がそっと寄り添っていた。




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