閉めきったカーテンの向こうから鳥のさえずりが聞こえてくる。自分の体温で程よく暖まった布団の中から朝の気配を感じたカガリは、まどろみの心地よさを振り切るように勢いよく起き上がった。ギンガムチェックのパジャマを脱いで手早く学校指定の制服に着替える。パジャマは簡単に畳んで枕元に置き、鏡を見ながら少しクセのある髪を櫛で梳かす。
何度か梳いて寝癖が付いていない事を確認すると、勉強机の上に出したままにしていたステーショナリー類をまとめ、鞄の中に詰め込んだ。最後にお気に入りの手帳を入れようとして、ふとページを捲る。と、開いたのは丁度今月のページで、自らの字で書き込まれた予定がカラフルに連なっていた。
その中で一際目立つ赤色の丸印。
元気よい丸の下には小さく予定が書いてあり、カガリはその部分に目を通すとパタンと手帳を閉じて鞄に入れた。

今日は女の子の決戦の日。
カガリにはほんの少し憂鬱な日。

カーテンを開けて朝の日の光を部屋の中に取り込む。
眩しさに目を細めて、清涼な空気を肺一杯に吸い込んで大きく伸びをする。そして軽やかに踵を返すと、部屋の扉を開いて階段を駆け下りた。

カレンダーの日付は2月14日。
天気快晴、風も穏やか。
本日、絶好のバレンタインデー日和。


                           Appetizing one


戦いの火蓋を切って落とすゴングは、聞きなれたチャイムの音だった。


「では、今日の授業はここまで。授業内容で不明な点があれば後で質問に来てください」

白のチョークを箱に仕舞い教科書を閉じると、教壇に立つ教師は静かな声で授業終了を告げる。
すると、それまで水を打ったようだった教室は、彼のその言葉が合図だったように一気に張り詰めた緊張感に包まれた。
女子生徒は机の中に手を突っ込み、あるいは鞄を膝の上にのせて号令を待ている。既に臨戦態勢は整っているといった呈だ。一方男子生徒は、面白くなさそうに、又は羨望の眼差しである一点を見ている。男女の発する、温度の異なった空気が混ざって満ちる中、学級委員長が椅子を引いて立ち上がった。

「起立」
その声を聞いて女生徒の目が鋭く光り出す。
「きをつけ」
背筋を伸ばした彼女達の手元を見れば、ピンクや赤の包みがしっかり握られていて。
「礼」
下げた頭を戻すが速いか、駆け出すのが速いか。教室を出ようとする教師目指し、我先にと走り寄る。
「ザラ先生、受け取ってください!」

塊になって迫る少女達に、アスラン・ザラは僅かに口元を引き攣らせた。



教室の出入り口に固まって次から次へとチョコレートを渡される教師の姿を、そこから離れた窓際の席から見つめる少女らがいた。クラス中の女生徒はほぼ出入り口に集結してる為、彼女達の姿は逆に目立っている。
熱い視線を教師に送っているクラスメイトを一瞥したフレイは、隣で頬杖を付いている少女に声をかけた。
「一年の時に見てたから知ってたけど、今年も凄いわね」
横からの声に、視線を人だかりに向けたカガリは、本当だなと呟く。呟いて、隣の席で手鏡を見ながらグロスを塗っているフレイがのんびりしているのを不思議そうに見た。
「フレイは誰かに渡しに行かないのか?」
「今はやぁよ。あんなになってる所に行ってごらんなさい。折角念入りにセットした髪がぐちゃぐちゃになちゃうじゃない」
勝負は放課後よ、と艶やかな髪を梳くフレイにふーんと相槌を打って、改めて人だかりに目を遣る。アスランの周囲を取り巻く女の子の数は先程から一向に減る様子はない。休憩時間に入った事で余計にその数を増やしている気がする。
実際そうなのだろう。中にはカガリの所属する部活の先輩や後輩もちらりと見えた。

その時、人の輪の中心にいるアスランが教室のほうに顔を動かし、その目がカガリと交わる。心底困っているようなその目に、カガリは彼から視線を逸らして机に突っ伏した。



女の子達が頬を染めてアスランに手渡すチョコレートが、過去の思い出を連れてくる。
幼い頃は、何も知らずにアスランのくれるチョコレートを頬張っていた。
2月14日はアスランとキラ(キラは甘党だから大抵自分で食べていたが)のくれるチョコを食べる日という認識すら持っていたカガリは、頬張った甘いチョコレート一個一個に、アスランを想う女の子達の気持ちが詰まっている事を、彼と付き合うようになって初めて知った。
高校生になって、アスランの先生ぶりを間近で見るようになって、彼の人気を知れば知るほど、自分がアスランの恋人だという事実が不思議に思えてきて不安にもなった。きっとアスランは小・中・高から今に至るまで、毎年こんなに沢山の異性からの好意を甘いチョコレートとして貰っていたんだろう。はあ、と大きな溜息が出てしまう。
―もしアスランの幼馴染でなかったら、自分のチョコレートも沢山の好意の内の一つだっただろうか。



『2/14 放課後着替えてアスランの家へ』
手帳のスケジュール欄を見て、携帯を取り出し、アスランにカチカチとメールを打つ。送信ボタンを押して携帯をポケットにしまうと、オレンジ色に染まる校舎を飛び出した。一度家に帰り制服から私服に着替えると、鞄の中にラッピング済の箱を入れて、再び家を出発し近所のスーパーへ向かった。
アスランの好物の材料でいっぱいになった袋を持ったカガリは、自転車のカゴにドサリとそれらを入れると、気合を入れてペダルをこぎ始める。カゴの中には真ん丸いキャベツが振動で揺れていた。





コトコトと鍋の蓋が音を立てるようになると、キッチン中にふんわりとコンソメの香りが広がり出す。自分の作ったスープの味を確かめて、その味にまずまずの及第点をつけていると、玄関からアスランの声が聞こえた。
おかえり、と大きな声で迎えると、程なくしてキッチンの扉が開きスーツ姿のアスランが入ってきた。こちらに見えないように後ろ手で紙袋を持ちながら。けれどどう隠そうとしても、大きな紙袋の存在は隠し切れなくて、体からはみ出た袋がちらちらとカガリの視界に入った。

「別に隠さなくたっていいだろ。学校でどうせ見てたんだから。それよりも食事にしよう。丁度出来上がった所だったんだ」
「・・・そうだな。今日はロールキャベツ?」
とさりと床に袋を置くと、アスランはカガリの横に並んで鍋を覗き込む。
「正解。ほら、早く着替えて来いよ!」
言うと、アスランの背を押して彼の自室に向かわせる。目に付いた紙袋はリビングの方に除けて、カガリはテーブルのセッティングをし始めた。

皿を全て並べ終えるのと丁度同じくらいにアスランが戻ってきて、二人でいただきますをする。時間をかけたロールキャベツは自分作にしては美味しく出来上がり、アスランもペロリと平らげてくれた。食事が終わると、カガリは空になった皿を嬉しそうに眺めてシンクに持っていく。二人分の食器はあっという間に洗い終わって、乾燥機に入れると今度は水を入れたケトルを火に掛けた。
「なあ、アスランは何飲む?」
「コーヒーにしてもらえるか?」
「わかった」
勝手知ったるキッチンの戸棚からメーカーを引っ張り出してセットし、お湯を注ぐ。すぐに香り出すコーヒーの香を嗅ぎながら、底に溜まっていくコーヒーの波紋を見つめた。




「それにしても物凄い量だな」
コーヒーを啜る合間に呟いたチョコの山への感想に、隣でアスランが苦笑いするのが分かった。無言のまま優しく頭を撫でられて、カガリはもう一口コーヒーを口に含んだ。

別に皮肉っている訳ではないのだ。学校で渡される姿を見ていたものの、それらが一纏めにされてここまで大量のチョコレートの山を形成しているのを目にすると、ただもう圧倒される。
その中に込められた気持ちを考えるとやはり少し胸が痛んだけれど。
そうしてチョコレートの山を見ていると、山の中でもひときわ大きな箱が目に入った。

「アスラン、あの大きな箱は何だ?」
「ん?さあ、何が入っているんだろうな」
アスランが手にした箱はブラウンの包装紙に包まれ金色のリボンが掛けられている正方形の箱。持ち上げるとずっしり重いそれの包装をアスランが外して蓋を開くと、中にはパウダーシュガーが振りかけられたホールのガトーショコラが入っていた。
「うわ・・・・上手だなぁ」
思わず賞賛の声が出てしまう。

(私のとは大違いだ)

鞄の中に忍ばせてきた包みの中を思い浮かべると、出来栄えの差に恥ずかしさが込み上げてくる。
このケーキを見たのが自分のを渡す前で良かった。もし渡した後でこんなのを見たら恥ずかしさも倍増してただろう。
手作りチョコを渡すのは腕を磨いて来年にしようか。そんな事を考え始めていると、ケーキを見ていたアスランが困ったように肩を竦めた。
「でもこれは一人では食べきれないな。今度実家に持って帰って手伝ってもらわないと。・・・・・それより、カガリはくれないのか?」
「え?」
いきなり話を振られて首を傾げる。
「鞄から見える箱、チョコレートじゃないのか?」
言われてはっと後ろを見る。ファスナーを閉めていなかった鞄は、ラッピングした箱の存在が一目瞭然だった。
(しまった!)
内心叫ぶがもう遅い。
「違うのか?
「や。違わないけど・・・・」

だけど、あんな上手なケーキを見た後でいびつな自分のチョコレートは見せたくない。
そう思ってもアスランにカガリの複雑な心境を知る術はなく。

「くれないのか?」
逆に悲しそうな顔をするアスランに、カガリは心の中で白旗を振って、鞄から箱を出すと、それをおずおずとアスランに差し出した。


ピリピリと、丁寧に包装を外す音に、居たたまれない気分になる。蓋を開けた時どんな顔をするんだろうと考えると、とてもじゃないが彼の顔は見れなかった。聞こえていた紙が擦れ合う音が止み、カガリの心拍数の速さもピークに達する。
「・・・・トリュフ?」
「そ、そう!お前甘いの苦手だろ。だからあんまり甘くないようなの作ろうとしたんだけど!普段ほとんどお菓子なんて作らないから、すっごく不恰好になっちゃったんだ!」
アスランの一言に弾かれたように話し出す。
何てぺらぺらとよく喋る口だ。何を言っているか自分でもよくわからない。


「美味しいよ」

だからアスランの一言も最初はよく聞き取れなかった。


「は?」
思わず聞き返すと、今度ははっきり美味しいと聞こえた。見るとアスランの手の中の箱のトリュフが一個なくなっている。
その事に気が付いたカガリは、恐る恐るアスランの顔を見上げて口を開いた。
「本当か?」
「ああ。甘過ぎなくて美味しい」
「ほんとのほんとか?無理してないか?」
アスランの言う事を疑っているのではない。でもやはり気になってしまってしかたなかった。
確認するようにアスランの顔を覗き込むと、何が可笑しいのか、くすくす笑われてしまう。ムッとして睨み付けると、アスランはトリュフを一個つまみ上げて、それをカガリの口に押し当てた。

「そんなに気になるなら食べてみたら?」
ほら、と促されてカガリが少し口を開くと、その中にトリュフが押し込まれる。
それを追うように押し付けられたアスランの唇にカガリは驚きに目を見開いた。
だが、見開いた先にある至近距離のアスランの顔にすぐにきつく目を閉じる。僅かに開いた隙間から入り込もうとする舌にカガリは咄嗟に体を離そうとするが、逆に引き寄せられ、そしてねっとりと絡め取られた。
二人の口内の熱でゆっくり溶けるチョコレート。丸い形が溶けてなくなると、アスランは名残惜しげに唇を離した。
唇の端に付いていたチョコを舐め取って、真っ赤になって俯くカガリに笑いかけた。

「どうだった?」
「・・・・・味なんて分かるか」

カガリの言葉にアスランは満足げに微笑んだ。



あんな事されて味なんて分かる訳ない。
ただ、口の中で溶けたチョコレートはひどく甘かった気がする。
その事実に頬が更に熱を持つのを自覚しながら、カガリは目の前で笑う男を睨みつけた。




でも。
この日一番甘く感じたのは。
「どんなチョコレートより、カガリのくれたチョコレートが俺には一番美味しい」
その後恥ずかしげもなく囁かれた、アスランからの一言だったのかもしれない。




あっま〜い!
甘い、甘すぎるよアスランさん。

彼氏と彼女の蕩けるような甘い甘いバレンタインデー。



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