砂糖菓子よりも甘い悪戯を



斜陽の作り出す暖色の光が窓辺から射し込み、床一面を橙色に染める、ある日の午後。
射し込む幾筋の光の中で、スリープモードに切り替わったピンク色のロボットは常時の騒々しさを一時的に忘れさせる程静かに、その場に座していた。円形のボディには細いコードが繋がっており、その前には床に散らばる細かい部品を拾い上げ、特有の金属音の中で作業に没頭している青年が一人いる。床に直接置いた端末の画面には、彼の恋人曰く、『意味の分からない宇宙語』の、用語や数字、回路図が詰まっていて、成程専門外の彼女がそう評するのも頷けた。複雑な回路が交差する画面内は、一種の未知なる宇宙空間を作り出していた。しかし、それを見つめる緑翠の瞳は数秒瞬きを繰り返しキーボードを指でなぞった後、早い手の動きで何事か打ち込んでいく。澱みない操作音が続き、室内の静寂を更に際立たせているようだった。
暫くすると、それまで止まる事無く動いていた指がキーボードから離れ、部屋に満ちていた電子音が止んだ。最後の調整を終えたのだろう。顔を上げた青年は一つ息を吐き出すと、固まった筋肉を軽く解し、作業に支障が出ないようにと、離れた場所に置いていたカップを引き寄せた。カップを手で弄び中身をくるくる揺らして、それを一口口に含む。
長時間放っておいたコーヒーは中途半端に冷めていて、風味やらコクやらがどこにも見当たらない、リラックス効果が全く望めない代物になっていた。白いカップの中に揺らめく水面を見つめるものの、もう一口飲む気にはとてもなれず、フローリングにコツンとカップを置いておいた。
ふと辺りに目をやると、出しっぱなしの工具が床に散乱している事に気がついたので、取り敢えず片付けようと手近なドライバーに手を伸ばす。しかし、身体を浮かしたその時飛び込んできた大声にその行動は中断を余儀なくされた。


「trick or treat!!」


喜色満面で部屋に飛び込んできた恋人に、青年は幾つもの感情が綯い交ぜになった声で呟いた。

「カガリ・・・・ドアの開閉は静かにと何度も言っているだろう・・・・・・」



溜息と共に吐き出された言葉は注意を促すものだった。けれども聞く耳持たず、と部屋に上がり込むカガリにはアスランの注意など届かない。届いたとしても右から左に通り抜ける程度だ。
琥珀の瞳が忙しなく周囲を見渡し、アスランの周りに環状に置いてある工具やハロに行き着く。

「なんだ、お前また何か作ってたのか?ってあれ、それラクスのハロ?」



『ラクス』とはカガリの友人であり、アスランの元婚約者でもある歌姫の名前だ。幼かった頃にアスランが父からその存在を告げられた婚約者。それがラクスだった。誰もが知るプラントの歌姫。ブラウン管の中のふんわりとした微笑と澄んだ歌声の持ち主と、『婚約』という言葉があまりにかけ離れていて、唯呆然と父の話を聞いたのを覚えている。
親同士が決めた関係に、初恋も未だだったアスランは驚きと多分の戸惑いを抱いた。無理もない。婚約者と共に日々の生活を営み続ける、明確な将来のヴィジョンを描くには彼の年齢は若すぎた。けれど、アスラン・ザラという少年は良くも悪くも物分りの良い少年だった。父の立場、自分に期待される事を理解できてしまった。
そして婚約者であるラクスは、漠然とした未来を共に歩んでいけるだろう、優しい少女だった。婚約者という立場であるにも関わらず、軍に入った為に中々会いに行けないアスランの体調を気遣ってくれた。そんなラクスにアスランが贈ったロボットがハロだった。彼女が寂しくないように、と。それが人間付き合いが不得手なアスランの、精一杯の言葉だった。
一体贈るとラクスはとても喜んでくれたので、それからは会う度に花束と一緒にハロを贈るのが通例となった。
そんな少年期の微笑ましい一幕も、大量のハロを見たカガリには「ものには限度があるだろう」の一言で切り捨てられてしまったのだが。

床に座っているアスランからは、夕日が邪魔してカガリの表情を窺い知る事は出来ない。しかし発せられた言葉のニュアンスから、彼女が浮かべている呆れ顔が容易に想像出来た。

「メンテナンスを頼まれたから預かっているんだ。さっきまで調整していて、今終わった所だよ。」

言いながら、拾い損ねていた工具を手早く纏めて箱の中へ戻し、床の上に螺子が落ちていない事を確認すると、立ったままのカガリを手招きして二人掛けのソファへ場所を移す。飲みかけのコーヒーは流しに捨ててしまって、メーカーに入っている湯気を立てるコーヒーを入れ直した。カガリには、彼女用のグリーンのマグカップを取り出し温かなコーヒーを注ぎ入れた。砂糖とミルクをその中に入れて、くるくるとスプーンで掻き混ぜる。
辛いものが大好きなカガリだが、実は甘いものも大好きだ。

初めて部屋に招いた時はカガリの好みが分からず、砂糖の量を少なくし過ぎてしまったが、何度もこういう時間を過ごす内に少しずつカガリの好みを知っていった。
砂糖をスプーンに一杯半、ミルクをたっぷり入れたカフェオレ。差し出したカップに口を付けたカガリの、ほっとした柔らかい表情に自分の心も温かくなる。些細な事が愛しさとなって降り積もる。
カガリの喉がこくりと鳴ったのを聞いてアスランもカップに口を付けた。


「で、さっきの呪文みたいなのは何だ?」


隣で膝を抱えているカガリの手の中の液体が半分以上なくなった頃、最初に言葉を発したのはアスランだった。
近くのテーブルにカップを置いてカガリに向き直る。当のカガリは革のソファに身を沈めてのんびりコーヒーを啜っていて、アスランの言葉には瞼をパチパチと動かして首を傾げてから、ああと頷いた。

「プラントにはハロウィンないんだな。地球のある地域では、十月三十一日にカボチャで作ったちょうちんを玄関に置いて、子供達はお化けの格好で近所の家にお菓子を貰いに行くんだ。その時言う言葉が『trick or treat』。お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞって意味なんだって。」
「へえ。お菓子を持っていなかったらどんな悪戯をされるんだ?」
「さあ。服の中にカエルや虫を入れられたりとかじゃないか?それはそうと、アスラン。私にお菓子くれないのか?持っていないなら悪戯するぞ?」

きらきらと輝いているカガリの瞳はある期待に満ちている。

俺が甘いお菓子など持っていない事を確信して、降参するのを待っている目だ。

しかしその期待に副う事はできない。

早く早くと返事を急かすようにシャツを引っ張るカガリにアスランは薄く笑ってキッチンへ向かうと、戸棚に仕舞っていた袋の中から小さな包みを出してカガリの隣に再び座った。カラフルな包み紙開けてその中身をカガリの口の中に放り込む。いきなり口の中に入れられた物体にカガリは驚くが、その後ふわりと口内に広がった甘い味に複雑そうに眉を寄せた。アスランに与えられたものが口の中で溶けると、カガリはつまらなさそうに呟いた。

「つまらん。」

ぷいと横を向いて不貞腐れるカガリに苦笑する。

「お前の所なら絶対にお菓子なんて置いていないと思ったのに!」


(誰の為に用意していると思っているんだ)

そもそも、甘いものを好んで摂取しようと思わない自分が自らの為に進んで菓子類を購入するなんてありえない。ではどうしてチョコレートなんて置いていたか。理由は至極簡単。カガリがそれを好きだから。とても美味しそうに食べるものだからその顔が見たいが為に用意していただけの話。そういう意味ではカガリの為だけではなく自分の為でもあるのかもしれないけれど。
カガリの愚痴を笑って聞いていたアスランだったが、空になった包み紙と頬を膨らませるカガリの横顔を交互に見ると、何か閃いた様子でカガリに見えない位置で妖しく笑んだ。大概こういう表情をする時のアスランは、カガリにとって非常に危険な思考を巡らせているのだが、今だぶつぶつと呟いているカガリは不幸にも自分の身に迫る危機を予見出来なかった。


「じゃあ、カガリにも『trick or treat』。」
「へ?」


目をぱちくりさせるカガリに楽しそうにアスランが言い募る。

「俺はお菓子をあげただろう?カガリは何かくれないのか?」
「え、あ・・・っと。」

悪戯っぽく笑うアスランに、カガリは慌ててごそごそと服のポケットを探るが、中からは飴玉の一個も出てこない。えっと、あのな、とバツが悪そうにするカガリにアスランは笑みを深める。見目麗しいその笑顔の裏を知るカガリはここで漸く自分の置かれている状況を悟ったが、時既に遅し。次いで告げられた言葉に本気で身の危険を感じる事となる。

「お菓子をくれないなら悪戯しても・・・・・・いいんだよな?」



コンディションレッド発令。
カガリの中で力いっぱい警報が鳴り響く。嫌な汗がじわりと出るのが分かった。
どうにかしてこの場を切り抜けなければ。そう思うものの、焦れば焦るほど頭の中は真っ白になり、気がつけばソファの端に追い詰められていた。二人掛けのスペースにこれ以上の逃げ場などあるはずもなく。腕の檻に閉じ込められたカガリはじたばたと暴れる事しか出来ない。

「い、悪戯って何する気だよ!!」

目と鼻の先にある秀麗な顔を睨みつけて怒鳴った、精一杯の虚勢はアスランには全てお見通しで楽しそうに目を細めるだけ。

「さあ、何をしようか。」

桜色の唇を指の腹でなぞって甘ったるく囁く声にぞくりと肌が粟立った。彼の行動に反応しないように唇を噛み締めていると、いきなり膝裏にアスランの腕が回されて横抱きに抱えあげられる格好になった。突然体が浮いた事に驚いて、バランスを取る為に咄嗟にアスランの首にしがみ付く。そのまま迷いのない足取りで移動を開始する男をカガリは足をバタつかせて止めようとしたが。


「これ以上暴れるともっと悪戯するぞ。」




ピタリと抵抗を止めたカガリをアスランは満足そうに見下ろして、二人の姿はドアの向こうへ消えていった。




                          happy halloween!!




ハロウィンにちなんだ『悪戯』話。パンプキンパイ以上に糖度が高いので胸焼けにご注意。
お持ち帰り自由です。報告は任意でお願いします。

使用した素材は配布物ではございません。ご了承ください。 
配布元: 
Andante

フリー配布用小咄でした。


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