ぽたり、ぽたり
落ちる涙の底には、ろ過された気持ちだけが残るのです


                            
ちる雫


冷たい壁を背にして直立不動の姿勢を取ってから、どれ程の時間が経ったろう。
しんと静まり返った廊下にはアスラン以外の人間の姿は見当たらない。この場に立った際に見た太陽の輝きは、白にも似た光輝から、温かな色味を含んだものに変わりつつある。しかし、それ位の時が経てども、閉ざされた扉は開かれる気配が無い。この向こうで孤軍奮闘しているであろう少女を思い、小さな小さな溜息を吐いた。

厚い扉の向こうはカガリの戦場だ。
そこには本当の戦場のように、人を屠る武器を持つ人間は一人として存在しない。けれどその代わり、彼女より年を重ねた老獪な人間が机を囲んでいて、年若いカガリの言葉を踏み潰す。オブラートに包んで誤魔化しながら、何度も何度も。自分の意見を一蹴され、経験不足を指摘される。繰り返される否定の言葉に、挫ける気持ちを奮い立たせ、この部屋に足を踏み入れるカガリの背の、何と小さい事か。
出来うるならば助けてやりたい。この中に入って、発言する事が許されるならば。
しかし、どれ程思ってもそんな事が叶う筈もなく。
この日も、入る事すら許されぬ部屋の中から、疲労の滲む声が聞こえた。


解散を告げる声を掻き消すように椅子を引く音が聞こえ、こちらに近づいてくる幾つもの足音に、アスランはそっと扉から離れる。かちゃり、とノブを回す音と共に向こうから現れたのは、揃いの臙脂色に身を包んだ男の集団だった。アスランを一瞥し、前を通り過ぎていく彼らに一礼して、最後に出てくる己の主人を待つ。すると先程よりも小さな足音を立ててカガリが出てきた。深く頭を下げて彼女を迎え、自分の前に立ったカガリに視線を合わせると、琥珀色をした瞳から強張った色が溶けて消えるのが分かった。

「お疲れ様でした、代表」
「ああ。待たせてすまなかったな」
二人きりではないこの場では、以前のようにはカガリを労わる事は出来ない。あくまでも主と従の関係の枠の中で、短く労わりの言葉をかけると、カガリも目を細めて短く答えた。
「行こうか、アスラン」
「はい」
頷くと、開けたままだった扉を閉め、カガリに倣い歩き出す。肩まで伸びた金髪が歩く度に揺れるのを後ろから見つめながら廊下を進んだ。少し歩くと、前方に首長会の何人かがいるのが見え、会釈をして横を通り過ぎる。否、過ぎようとした。
背中に刺さった、彼らの言葉さえなかったら。


「・・・・忌まわしいザラの息子が護衛とは」


呟きのようなその一言は、まるで呪いの呪文のようにカガリの足を地面に縫い止める。ぎしぎしと、思い通りに動かない首を動かして、カガリは声の聞こえた方を見た。
「今しがた何と仰った?」
ギリと歯を噛み締めるカガリの声は揺れていた。互いに顔を見合わせて何事か囁き合っている首長達の、その様が更にカガリの炎を煽る。
「とぼけないでいただきたい。先程私の護衛に心ない言葉を口にした方がいるだろう」
「・・・・・代表参りましょう。きっと気のせいです」
「いや、そんな訳あるか!」
「代表」

静かな声で呼ばれてカガリはぐっと言葉を飲み込んだ。酷い事を言われたのはアスランの筈なのに、彼の表情には怒りも悲しみも見つけられない。どうして怒らないんだと心で彼を怒鳴って、そして思い至る。全てはきっと私の為だ。『戦犯の息子』を囲っている、と陰で言われている私が、更に心象を悪くしない為に。アスランは何とも無い顔をしている。
無性に泣きたくなる自分を叱咤して、カガリは首長らに背を向けた。そんなカガリの耳に、酷く耳障りな声が届く。
「カガリ様は随分とお優しいですねぇ」
「どういう意味だ、ユウナ・・・・」

声のトーンを下げたカガリが、軽薄な笑みを浮かべる男を睨みつける。眼光の鋭さに射抜かれたユウナは、大仰に驚いたポーズを作り頭を下げた。ゆるやかに顔を上げた男には既に笑みが戻っていて、甘ったるい声はカガリの不快感を加速させる。
「いえ、他意はありませんよ。ただ、たかだか一介の護衛をこれ程庇ってやるとはお優しい、と感想を述べたまで」
「お前に賛辞されても嬉しくない。・・・・・行くぞ」

ねちっこい視線を振り払うように、今度こそその場を後にする。これ以上場に留まっていると怒りのメーターが完全に振切れてしまう事は必至だった。逃げた訳ではない。アスランが我慢してくれたのを自分の所為で滅茶苦茶にしたくない。
それだけだった。






「どうしてカガリが泣くんだ?」

ドアに鍵を掛けると、自室に戻るなりソファの上で嗚咽を噛み殺して涙を流す恋人に近づき、その前で膝をついた。目の高さを同じにすると、膝の上で固く手を握り締めているカガリを見つめる。真ん丸い目から次から次へと涙を零すカガリは、滲む世界の中にいるアスランを睨め付け、手近にあったクッションを投げつけた。手当たり次第にクッションを投げるカガリの零す涙が、キラキラと光って落ちるのを、綺麗だと、アスランは飛んでくるクッションを避けながらぼんやりと思う。癇癪を起こしているカガリの好きなようにさせていると、投げる物を失ったカガリは今度は握った拳でアスランの胸をドンと叩いた。

「だってお前が!」
「うん?」
泣きながら喋って苦しくなったのか、途端に咽るカガリの背をさすりながら先を促す。
「あ・・・な事言われてっ!何でもない様な顔するからっ!!」
泣きながら糾弾するカガリにアスランは困ったように笑った。


首長らの言う事は尤もだと思う。未だ戦火の火種の残るこの地球では、コーディネーターというだけで面倒なのに、それがパトリック・ザラの息子と知って、どうして受け入れられるだろう。カガリはこの国の中心だ。そんな人間がアスラン・ザラという危険分子を側に置くのは、彼らにとって不安要素でしかない。たとえ名を変え、正体を偽っても『戦犯の息子』に変わりはない。それを分かって、それでも自分はここにいる事を望んだのだ。


「泣かないでくれ。俺はカガリに泣かれるのが一番嫌なんだ」
落ち着くようにと、カガリの頭を何度も撫でる。すんと鼻を啜ったカガリが悔しそうに呟いた。
「私がもっとしっかりしていれば、お前にあんな思いはさせないのに」
ごめんな、と項垂れるカガリの頬に手を添えて上を向かせる。謝ってほしいわけではない。幾筋もついた涙の跡を唇で辿って、行き着いた睫に付いた水滴を舐め取った。ぎゅっと目を瞑るカガリを腕にすっぽり納めて囁く。
「いいんだ。カガリがいてくれて、俺の事で怒ったり笑ったりしてくれるだけで俺は満たされる」
「それは・・・あまりにも欲がなさ過ぎるぞ」
「そうでもないさ」
くすくす笑うと、息が首にかかったらしく、くすぐったいとカガリがもぞもぞと体を動かすが、アスランは更に腕に込める力を強くする。

「欲がない人間は女神に口付けたり、その先を望みはしない」
言うなり、顔を傾けてカガリに近づいた。が、間近に迫ったアスランの顔に驚いて両手でアスランの口を塞いだ。
「も、もう!お前の事で絶対に泣いたりなんてやらないからな!」
茹蛸のように顔を赤くして凄むカガリに、お預けを食らったアスランは嬉しそうに笑む。


「ありがとう、カガリ」
「ふん」

そっぽを向くカガリの耳までが赤いのを見てまたアスランは笑った。





ぽたり、ぽたり
落ちる涙の底には、こうして君への愛おしさだけが残るのです



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シリアス目指して敢え無く撃沈


フリー配布用小咄でした。


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